Levante vs Barcelona
05.05.14.sabado
日時:第36節 2005年5月14日(土)
対戦:レバンテ vs バルセロナ
結果:1−1
得点:1−0 34分 リベーラ
1−1 59分 エトー
審判:ウンディアーノ・マジョンコ(ナバーラ)
警告:コンゴ、ヘスーレ、セレスティーニ(レバンテ)
ジオ、ロナウジーニョ、デコ(バルセロナ)

見た目はレバンテ対バルセロナになっていますが、バルサの優勝を記念して今シーズンの戦い振りを振り返る企画をお届けしようかと。

今回は、特に、先発メンバーとウィンターブレークまでの戦いに焦点を当てた話でありますが、交代やシーズン後半の戦いについては、日を改めてお届けする予定です。

まず、今シーズン、ライカールトが最も多く採用した先発メンバーを眺めてみると、図1のようになっている。

今では、目をつむったままでも思い浮かぶ配置ではあるが、ここに至るまでには、それなりの紆余曲折を経ている。

まず、シーズンの開幕当初は、図2のような配置で戦っていた。

これは第二節のセビージャ戦の配置だが、ロナウジーニョは怪我のために第一節、第二節ともに欠場している。

昨シーズンからモデルチェンジしたバルサは、最初の二試合で、スリートップによる前線からのボール奪取を主要な武器として04−05シーズンを戦う姿勢を見せた。

集団的な守備を考えた場合、前線にラーション、エトー、ジュリーを並べた配置は理論的に完璧であり、そこにロナウジーニョが入る隙間はなかった。

彼が怪我から復帰した場合、どこに配置するのか、非常に注目されていたが、次のセルティック戦(チャンピオンズリーグ)では、図3に見られるように、センターフォワードとして起用された。

この試合では、ロナウジーニョが相手センターバックに十分なプレッシャーをかけることがでなかったため、スピードで中盤の薄みを突かれて散々に苦労した。

ロナウジーニョのセンターフォワードは、図4のように、その9日後、9月23日にも繰り返された。

この配置、つまり、ロナウジーニョを中央、エトーを左に置き、ボランチにエジミウソンを配し、センターバックをプジョル、オレゲルで組んだこの配置こそがライカールトの理想布陣であったと思われる。
しかし、様々な理由から、この布陣が繰り返されることはなかった。

まず、10月3日、ホームでのヌマンシア戦においてエジミウソンが負傷し、今シーズン中のプレーがほぼ絶望的な状況となった。

また、前線の中央に配置されたロナウジーニョが駄々をこね始め、最前線から一つ下、そして、移動の自由を欲してライカールトに直談判を行った。

この結果、バルサのシステムは、マルケスがエジミウソンの位置でプレーし、ロナウジーニョが左サイドでプレーする現在の形へと移行した。

例えば、アウェイでミランに1−0で敗れ、今シーズン初めての黒星を記録した10月20日の試合では、図5のような先発メンバーだった。

この時期、選手配置が落ち着いた後のバルセロナの破壊力は凄まじく、ミランに敗れたとはいえ、ヨーロッパナンバーワンの称号を与えられていた。

しかし、その後は、続発した怪我人の影響もあり、苦しい試合が続いた。

11月までに6ヶ月以上の怪我を負った選手を列挙すると、以下のようになる。

 9月11日 モタ
 9月23日 ガブリ
10月 3日 エジミウソン
11月20日 ラーション

特に、ラーションを失う前後からウィンターブレークに至るまでは苦しい試合の連続だった。

11月14日、第11節にはベティスに2−1で敗れリーガ初黒星を記録。
11月28日のヘッタフェとのアウェイ戦では、相手にシュート数で上まわられて大苦戦。

そして、12月に入ると、ベンチ要員の不足から、12人前後で戦う日々が続いた。

特に怪我人が多発した右サイドに問題が多く、12月11日のアルバセーテ戦では、図6のように、ダミア、イニエスタで組み、12月21日のレバンテ戦では、図7のように、サイドバックがダミア、右ウィングがベレッティだった。

シーズンの最終盤を除けば、肉体的には、この1ヶ月強の期間が最も苦しかったと思われるが、ライカールトはシステム、戦術共にまったく変えなかった。

これだけ怪我人が出れば、チームを組み直す方が必然であると思われるが、ライカールトは頑固にシーズン開幕からの方針を守った。

また、今ジーズンのバルサでは、この、「状況によって方針を変えない」という哲学はありとあらゆる場面に適用された。
リードを奪い、守りに入ってもよい時間帯でも常変わらず3トップを保ち、相手が4人のフォワードを配して放り込んで来てもディフェンスを増やさない。
このような姿は、シーズンを通して貫かれた。

チェルシーとの最初の試合で2−1とリードを奪いながら、スペースを空けて攻め続けて轟沈したことがこの哲学の裏の面なら、最後まで守ることなくリーガを制覇したことは、この哲学の表面にあたる。

結果的には、11月14日から12月21日までの時期を、5勝1分1敗で乗り切ったことが、優勝に少なからぬ貢献を果たしたが、それはライカールトの揺れない姿勢が生み出したものであると考えられる。

と、まぁ、ここまでが、ウィンターブレークまでのお話でありますが、その後の話はまたいずれ。

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