見た目はレバンテ対バルセロナになっていますが、バルサの優勝を記念して今シーズンの戦い振りを振り返る企画をお届けしようかと。
今回は、特に、先発メンバーとウィンターブレークまでの戦いに焦点を当てた話でありますが、交代やシーズン後半の戦いについては、日を改めてお届けする予定です。
まず、今シーズン、ライカールトが最も多く採用した先発メンバーを眺めてみると、図1のようになっている。
今では、目をつむったままでも思い浮かぶ配置ではあるが、ここに至るまでには、それなりの紆余曲折を経ている。
まず、シーズンの開幕当初は、図2のような配置で戦っていた。
これは第二節のセビージャ戦の配置だが、ロナウジーニョは怪我のために第一節、第二節ともに欠場している。
昨シーズンからモデルチェンジしたバルサは、最初の二試合で、スリートップによる前線からのボール奪取を主要な武器として04−05シーズンを戦う姿勢を見せた。
集団的な守備を考えた場合、前線にラーション、エトー、ジュリーを並べた配置は理論的に完璧であり、そこにロナウジーニョが入る隙間はなかった。
彼が怪我から復帰した場合、どこに配置するのか、非常に注目されていたが、次のセルティック戦(チャンピオンズリーグ)では、図3に見られるように、センターフォワードとして起用された。
この試合では、ロナウジーニョが相手センターバックに十分なプレッシャーをかけることがでなかったため、スピードで中盤の薄みを突かれて散々に苦労した。
ロナウジーニョのセンターフォワードは、図4のように、その9日後、9月23日にも繰り返された。
この配置、つまり、ロナウジーニョを中央、エトーを左に置き、ボランチにエジミウソンを配し、センターバックをプジョル、オレゲルで組んだこの配置こそがライカールトの理想布陣であったと思われる。
しかし、様々な理由から、この布陣が繰り返されることはなかった。
まず、10月3日、ホームでのヌマンシア戦においてエジミウソンが負傷し、今シーズン中のプレーがほぼ絶望的な状況となった。
また、前線の中央に配置されたロナウジーニョが駄々をこね始め、最前線から一つ下、そして、移動の自由を欲してライカールトに直談判を行った。
この結果、バルサのシステムは、マルケスがエジミウソンの位置でプレーし、ロナウジーニョが左サイドでプレーする現在の形へと移行した。
例えば、アウェイでミランに1−0で敗れ、今シーズン初めての黒星を記録した10月20日の試合では、図5のような先発メンバーだった。
この時期、選手配置が落ち着いた後のバルセロナの破壊力は凄まじく、ミランに敗れたとはいえ、ヨーロッパナンバーワンの称号を与えられていた。
しかし、その後は、続発した怪我人の影響もあり、苦しい試合が続いた。
11月までに6ヶ月以上の怪我を負った選手を列挙すると、以下のようになる。
9月11日 モタ
9月23日 ガブリ
10月 3日 エジミウソン
11月20日 ラーション
特に、ラーションを失う前後からウィンターブレークに至るまでは苦しい試合の連続だった。
11月14日、第11節にはベティスに2−1で敗れリーガ初黒星を記録。
11月28日のヘッタフェとのアウェイ戦では、相手にシュート数で上まわられて大苦戦。
そして、12月に入ると、ベンチ要員の不足から、12人前後で戦う日々が続いた。
特に怪我人が多発した右サイドに問題が多く、12月11日のアルバセーテ戦では、図6のように、ダミア、イニエスタで組み、12月21日のレバンテ戦では、図7のように、サイドバックがダミア、右ウィングがベレッティだった。
シーズンの最終盤を除けば、肉体的には、この1ヶ月強の期間が最も苦しかったと思われるが、ライカールトはシステム、戦術共にまったく変えなかった。
これだけ怪我人が出れば、チームを組み直す方が必然であると思われるが、ライカールトは頑固にシーズン開幕からの方針を守った。
また、今ジーズンのバルサでは、この、「状況によって方針を変えない」という哲学はありとあらゆる場面に適用された。
リードを奪い、守りに入ってもよい時間帯でも常変わらず3トップを保ち、相手が4人のフォワードを配して放り込んで来てもディフェンスを増やさない。
このような姿は、シーズンを通して貫かれた。
チェルシーとの最初の試合で2−1とリードを奪いながら、スペースを空けて攻め続けて轟沈したことがこの哲学の裏の面なら、最後まで守ることなくリーガを制覇したことは、この哲学の表面にあたる。
結果的には、11月14日から12月21日までの時期を、5勝1分1敗で乗り切ったことが、優勝に少なからぬ貢献を果たしたが、それはライカールトの揺れない姿勢が生み出したものであると考えられる。
と、まぁ、ここまでが、ウィンターブレークまでのお話でありますが、その後の話はまたいずれ。