本日は、バルサ対オサスナの試合を例に取り、怪我の功名というお題でおとどけしようかと。
まず、前半バルセロナは、ろくにボールがつながらない状況が続き、怪我人による交代の度に良くなっていった。
この日のオサスナは、トップ下のような位置にボランチのラウール・ガルシアを置き、中盤を5人にした形でバルサの攻撃を待ち受けていた。
これに対してものの見事に攻めあぐねていたバルサだったが、前半の21分に怪我で退いたベレッティに代わってエジミウソンが入ると、システムは図1のように変更された。
オレゲルは右サイドバックに移動し、マルケスが左センターバックに下がって、エジミウソンはボランチに入っている。
この配置は、二つの意味で引いた相手を攻略するために適している。
まず、マルケスがセンターバックに下がったことで、引いた相手に対してディフェンスラインからゲームを組み立てることができるようになり、ボールの動きが改善された。
まず、プジョル、オレゲルよりも落ち着いてボールを持つことのできるマルケスが前方に軽くドリブルを仕掛けることで、相手の中盤を引き付け、その裏にスペースにボールを送ることにより、ロナウジーニョ、エトーのプレー状況が改善され、さらには、左から右奥へのサイドチェンジのボールが増えたことで、メシが楽な状況でボールを持つことができるようになった。
スリートップ系のシステムは、前の三人になるべく楽な状況でボールを持たせて相手を押し下げる、というのが眼目なので、その意味において、マルケスの果たした役割は重要だった。
次に、オレゲルが右サイドに入ったことで、左サイドのシウビーニョがより攻撃に専念できるようになり、ロナウジーニョの周囲により多くのスペースが生まれるようになったことも大きい。
ベレッティが右サイドにいる場合は、左サイドバックは常に守備と攻撃のバランスに気を配らなければならないが、守備が抜群に強くあまり上がらないオレゲルが入れば、よりスリーバックに近い形になるため、前線に上がりやすい。
彼が上がることでロナウジーニョの中への切り返しがより有効になり、バルサの攻撃の幅を広げた。
この二つのは、守りを固めてくる相手に対する定石、「 引いた相手にはサイドから」、「引いた相手にはディフェンスラインから崩す」と非常に良く合致している。
もし前半が同点、もしくはリードして終わった場合、高い確率で同じ変更を行わざるを得ない。
そう考えると、怪我により早い時間でその変更が可能になったことは、怪我の功名と呼ぶに相応しい。
これが、怪我の功名その1だとすると、その2は38分のデコとファン・ボメルの交代で、これによりバルサの中盤に縦へのベクトルが追加された。(図2)
ここ最近のバルセロナは、純粋な1−4−1−2−3よりも、図3のような形になった方がよりよく機能していた。
シャビがやや位置を下げ、デコがよりトップ下に近づいた、1−4−2−3−1に近い形だが、この交代により、よりその配置に近づいた。
この形の利点は、ロナウジーニョの周囲によりスペースが生まれることと、守備に穴をあけやすいジーニョの裏をカバーしやすいことであり、その昔のダービッツがいたころの設計に近い。
それはさて置き、以上2点の変更がメシのプレーをきっかけに大フィーバー状態に陥ったロナウジーニョと相まって後半の圧倒的な攻撃につながった。
後半は一方的にバルセロナだったが、70分を過ぎたあたりから、徐々にオサスナにもチャンスが出てきた。
この主な原因は、スーパープレーを連発し過ぎてガス欠を起こしたメシの戻りが無くなったことだった。
普通に考えれば、2−0とリードしいるのだから、メシをジュリーかエスケーロに代えてスペースを埋めればよい。
しかし、メシの将来を考えれば、絶対に90分プレーさせた方がよい。
それは、登録のゴタゴタからプレーできなかった若者が今期初めての先発で十分以上の活躍を見せていたからであり、その将来を考えるなら、疲労で交代させられた、という思い出を残すより、フルに出場した充実感を残した方がモチベーションの意味では遥かによい。
しかし、最近リードしても守備の穴から追いつかれることの多いバルセロナは同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
となると、ここは涙をのんでメシの交代か、、、と思っていると、エトーが代えられた。
この日2ゴールを上げ、ピッチの中で最も安定した働きを見せていた彼を代えるのは意外だが、この日、鬼か悪魔のような切れを見せていたロナウジーニョのプレーと、メシの立場を思えば、これしかない選択肢ではある。
要するに、疲労の蓄積、という要素を除けば、前の3人の内で、のりにのった状況の中で交代させられて一番我慢できるは誰か、という質問の答えが「エトー」だったので彼が代えられたと想像される。
昔から、交代が告げられると駄々子のような仕草を見せていたエトーがそういう立場になったかと思うと、時の流れが感慨を持って感じられる。